冷麺始め□。

名付け親から良いタイトル名を貰うも、そのまま使うと癪に障るので微妙にタイトル名をいじった冷麺のブログ。

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2010-11-04 [ Thu ]
じゃあINしろって話なんですけどね・・・w

どうも、冷麺です。

つい先ほど、火葬場に行ってきました。

ここ3年で3回目・・・多すぎじゃない?w

ほぼ毎年ペースですよww

2年前に父方の祖母が亡くなり、半年前に母方の祖母が亡くなり、そして昨日、我が家の猫様が一匹お亡くなりになりました。

今年で13歳・・・ちょっと早かったですねぇ・・・。

死因はガンでした。

我が家には生後2ヶ月くらいの時からいるのですが、そのときから体格が大きく、餌をよく食べていたため見事なデブ猫に・・・w

我が家の猫様4匹中で一番体重が重かったのですが、死ぬ一日前には我が家で一番体重が軽くなるほどやつれてしまい、もう満足に歩き回れないという状況でした。

先週の時点で、もうもって一週間だろうと言われていて、昨日、私は朝からバイトだった為朝から出かけていていたのですが、仕事中に、虫の知らせですかねぇ・・・なんとな~く、あぁ・・・今日死ぬかもな・・・と思いながら仕事していました。

夕方に仕事が終わった為、帰宅した時に、知り合いのおb・・・お姉さんが家にいました。

それを見た時に、あ~・・・逝ったかもなぁ・・・と思っていたら、母親から呼ばれました。

母「ちょっと・・・」

私「逝った?」

母「・・・うん」

私「そう」

急いで猫様を見に行きました。(その時あまりにも急いでいた為、弁当箱を出し忘れて、さっき出しにいったら怒られたのはまた別のお話w)

なんとなく予感はしていたので、猫様を見ても泣きはしませんでしたが、それでも、やはりショックでしたね・・・。

最後は苦しませてしまったねと・・・我が家にきてくれてありがとうと・・・お別れの言葉を言って、先ほど、火葬してきました。

実はこの猫様、半年前に無くなった母方の祖母が一番可愛がっていたので、多分、祖母が寂しくて呼んだのでしょうね。祖母が亡くなった日は友引でしたし。

もうあの猫の鳴き声を聞くことはないんだなぁ・・・とか、リビングの中央で寝そべってる姿を見ることもないんだなぁ・・・と思うと、涙が出ますねw

しばらく白黒の猫は飼えそうにありませんw

~以下コルム~



















今年で終わりじゃん?



では、猫様がお亡くなりになってテンションだだ下がりの冷麺でしたw

bye-bye☆
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2010-06-14 [ Mon ]
冷麺(れいめん、ネンミョン / レンミョン)は、朝鮮半島の麺料理のひとつ。19世紀の書籍、1849年に成立した『東国歳時記』の記録で、平安道の名物として最初に言及される(「冷麺」という用語は19世紀以前にも使われた)。
主にムルレンミョン(スープ付き冷麺)と、ピピムネンミョン(スープ無し混ぜ冷麺)の2種類がある。ムルは「水」の意で、ネンミョンの冠にムルが付加されると朝鮮語特有の連音化(リエゾン)によりムルレンミョンという発音になる。ピビムとは「混ぜ」の意味で、ビビンバのビビン(ピビム)と同じ意味である。

蕎麦粉を主原料とし、つなぎとしてでんぷんや小麦粉を入れて練り、穴の開いたシリンダー状の容器で麺状に押し出してそのまま熱湯に落としてゆで、ゆで上がった麺(ネンミョンサリという)をすぐに冷水で冷やす。

ムルレンミョンは金属製の専用器等に固く締めた麺を入れ、その上に具として下味をつけた肉類・ゆで卵・キムチ・錦糸卵・ナシなどを盛り付け、最後に鶏肉や牛肉でとったスープとトンチミ(大根の水キムチ)の汁を合わせた透明な冷たいスープ(ユッス)をかけて供される。

ピピムネンミョンは、コチュジャンや酢、ごま油、砂糖などを混ぜ合わせた辛いヤンニョムで麺を和え、肉類、ゆで卵、きゅうりの千切り等を形良く盛り付けて供し、食べる際によくかき混ぜる。これにヤンニョムをからめた魚の刺身(フェ)を乗せたものがフェネンミョンで、魚はエイ、カレイ、スケトウダラなどが使われる。

ともにルーツは現在の北朝鮮にあり、首都の平壌と、日本海に面した咸興(ハムフン)が冷麺の本場として知られる。日本、韓国では長い間、「平壌冷麺=ムルレンミョン」、「咸興冷麺=ピピムネンミョン」とされてきた。しかし、韓国で脱北者が開いた北朝鮮料理チェーン店によれば、平壌冷麺はそば粉と緑豆粉を用い、太くて黒っぽく、噛み切りやすい麺であり、咸興冷麺はジャガイモ・トウモロコシなどのデンプンを使用した、細くて白っぽく、噛み切りにくい麺であるという。しかし、実際には、平壌冷麺にも白っぽく細い麺の店もあり、咸興冷麺にもそば粉入りの黒っぽい太い麺で出す店もある。人力で操作する木製の押し出し機が使われていた時代は太い麺だったが、電動の製麺機が登場して以降の麺は徐々に細くなっていった。実際の冷麺の種類は、葛を材料にしたチック冷麺、そば粉だけで作ったメミル冷麺など多種多様。しかも現在は北朝鮮の冷麺事情がよく分からないので、厳密な分類はできないとされる。ただし、咸興冷麺はコシが強く、噛み切れないほどだという点はどの資料でも一致する。
250px-Okryugwan_rengmyun1.jpg
ピョンヤン冷麺

韓国の冷麺

韓国・朝鮮料理ではよく用いられる金属の器にうず高く盛られた彩り良い具材が美しいが、麺は製麺機から押し出したままの長い状態で器に盛られているため、調理用鋏で食べやすい長さに切り、好みによりキムチや調味料などを加えて全体に味がなじむよう混ぜてから食べる。なお、朝鮮半島の食文化では食器を手に持って食べることはマナー違反とされているが、ムルレンミョンに限ってはスープを飲む際に器を手に持ち、口をつけて啜っても良しとする韓国人も少なくない。

本来は寒い冬に暖かい(温度調節がこまめに出来ないのでやや暑くなる)オンドル部屋の中で食べる料理であったといわれる。韓国では大衆食堂においては夏の間しか出さないが、冷麺専門店では冬にも出している。

韓国では地方により、ドングリ(トトリ)の粉を練り込んだトトリ冷麺があるほか、最近では緑茶や薬草など、さまざまな材料を練り込んだ冷麺を出す店もある。

北朝鮮の冷麺

平壌直轄市で著名な冷麺専門店に玉流館がある。韓国紙の報道によれば、平壌市の冷麺の殿堂として1日に1万人が訪れるといわれ]、2000年に金大中が訪れるなど海外からの旅行客や要人が案内される著名店となっている。2007年9月に改装工事が始まり、2008年4月15日の金日成生誕日に新装開店した。東亜日報の取材によれば、「韓国よりも麺が1.5倍くらい太くて、麺とスープの色が黄土色」で「スープは濃い鶏肉の香りを漂わせ、あたかも蔘鶏湯(サムゲタン)を冷やしたような感じ」であるという。

朝鮮半島以外の冷麺

日本では焼肉屋のメニューの1つになっていることが多い。また、岩手県盛岡市では盛岡冷麺として名物にもなっている。ただし、盛岡冷麺は、朝鮮半島の冷麺と原料・製法などが異なる(盛岡冷麺参照)。また大分県別府市にある多くのラーメン屋では本格的な冷麺がメニューに加わっている(ただし器は金属製のものではなくラーメン用の丼鉢で盛りつけられている)。

単に「冷麺」と言った場合、東日本では韓国風冷麺もしくは盛岡冷麺を指すことが多いが、西日本、特に関西地方では冷やし中華のことを指すことが多い。そのため、「韓国冷麺」「平壌冷麺」などと表記して、冷やし中華と混同されないようにしている例も多い。
250px-Morioka_Reimen.jpg
盛岡冷麺

盛岡冷麺

盛岡冷麺(もりおかれいめん)は、岩手県盛岡市の名物麺料理。わんこそば、じゃじゃ麺と並んで「盛岡の三大麺」と称されている。

盛岡冷麺の麺は、スパゲッティなどのパスタと同様に小麦粉、片栗粉などを用いた生地に強い力を加え、麺の太さに合わせた穴から押し出して作られる。この際、麺が高温になりアルファ化するために強いコシがもたらされる。この押し出し麺という製法は、盛岡冷麺には不可欠とされる。

その後の製品開発により、非押し出し製法である混練法で冷麺を製麺している製麺所も存在する。

朝鮮半島北部(現・北朝鮮)の咸興生まれの在日1世の青木輝人(ヤン・ヨンチョル:양용철)が、1954年(昭和29年)5月に盛岡市でテーブル4つの「食道園」を開業し、店で出したのが最初である。料理人としてのプロの技術を持たなかった青木は、自分が子供のころに食べた咸興の冷麺を独力で再現しようとしたという。

咸興の冷麺はスープのないピビム冷麺が有名だが、咸興冷麺にもユクススープつきのものもあったといい、青木は自分が好きだったスープつきの咸興冷麺を自分の店で出した。咸興独特のかみきれないほどコシの強い麺は当初、盛岡市民には不評で「ゴムを食べているようだ」などと言われ、また当時は辛いキムチも日本では一般的ではなかったこともあり、まったく受け入れられなかった。 青木によると、咸興の冷麺はソバ粉入りの灰色の麺だったといい、初期は店でもソバ粉入りの麺を出していた。この灰色の麺は青木自身にもおいしそうに見えなかったため、青木はかつてフロア責任者として働いた東京の朝鮮料理店で見た白っぽい麺を参考にソバ粉を抜き、麺を白く変える。だが、じゃがいもでんぷんを使ったコシの強い麺や、辛いキムチのトッピング、牛骨ダシ中心の濃厚なスープという「故郷の味の3要素」は、頑固に守り続けた。やがて盛岡の新しいもの好きな若者たちの間で、そのユニークさが「一度食べたらあとを引く」と評判になり、店には常連客があふれるようになった。ここに、「盛岡冷麺」の基本形が完成したといわれる。

ただし青木自身は、「盛岡冷麺」でも「咸興冷麺」でもなく、「平壌冷麺」という看板を掲げ続けた。商売っ気のある青木は「咸興より、平壌の方が大きな街で有名だからそうした」と生前、いたずらっぽく語っていたという。

1979年(昭和54 年)に南大橋の袂に開業した郊外型店「焼肉ガーデンペコ&ペコ」(2001年閉店)は、テレビ・ラジオ・市内映画館などのメディア広告を使い「冷麺」を宣伝し、この宣伝がヒットして「冷麺」は岩手県内に知れ渡ることとなった。なお、「ペコ&ペコ」では「平壌冷麺」ではなく、単に「冷麺」と呼称していた。

「盛岡冷麺」の名称を市内の店で初めて使用したのは、1987年(昭和62年)に「ぴょんぴょん舎」を創業した在日2 世の邊龍雄(ピョン・ヨンウン)である。それまで盛岡では、青木の店にならって「平壌冷麺」、または単に「冷麺」と呼ばれていた。まだ「ぴょんぴょん舎」開店の準備中だった邊に、1986年10月に盛岡で開かれた「日本めんサミット」出店の声がかかり、小さなブースで出した冷麺の看板に「盛岡冷麺」「ぴょんぴょん亭」の文字が書かれたのである。「盛岡冷麺」という呼称を使うよう勧めたのは、サミット運営を担当した盛岡市職員の田口善政だったという。田口は、盛岡式の冷麺が県外で「盛岡冷麺」と呼ばれているのを知っていたのである。

「盛岡冷麺」という名称は当初、在日のコミュニティーからは「故郷の味を安売りするもの」「祖国の食文化を日本に売り渡す」と猛反発を受けた。が、これを機に徐々に「盛岡冷麺」の名が市民に浸透し始め、全国的にも盛岡の名物として知られるようになる。邊をはじめ、青木を追って冷麺をつくり始めた店では、それぞれが独自の試行錯誤を繰り返し、盛岡冷麺の味は次第に日本人の味覚に合ったものに変化しつつある。

こうした「盛岡冷麺」誕生と浸透の経緯は、1993年(平成5年)に朝日新聞岩手版に小西正人記者によって連載された記事「冷麺物語 日本と朝鮮・韓国の間に横たわるもの」で初めて詳細に明らかにされた。連載記事は2007年(平成19年)に「盛岡冷麺物語」(リエゾンパブリッシング刊)として書籍化された。その後、この記事をベースにしたTV番組「ザ・ルーツ 俺たちの盛岡冷麺」が、2009年3月、岩手朝日テレビで放送されている。

2000年(平成12年)4月からは、さぬきうどん、札幌ラーメン、長崎チャンポン、沖縄そばなどと同様に、公正取引委員会が「盛岡冷麺」の生麺に対して「特産」・「名産」表示を認め、盛岡冷麺は "本場" として認定された。

以上、まるなんとかさんから言われたお題でした。






あ、ちなみに、WIKIからの転載ですw

個人的には、盛岡冷麺の方が好きです。
っていうか、日本人なんだから、自国で日本人が食べやすいように改良された物の方が口にあうのは当然ですねw
余談ですが、私自身は冷麺は夏に一回食べるか食べないか程度の物です。

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プロフィール

冷麺

Author:冷麺
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愛称:冷麺
特技:毒を吐く事
趣味:セクハラ

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